巷の業者の散骨は亡き人をお送りするという意識が全く無く、儀式こそすれあくまでも参列者にとって思い出深いお別れの儀という程度であり、ひどい業者になりますと遺骨の処分としての散骨であり、散骨は一歩間違えば亡き人を無縁仏にしてしまいます。
やすらか庵では代表僧侶が散骨供養を始めてから20年経ちますが、始めた当初から後継者の居ない方が安心して利用できる散骨、供養のための散骨、亡き人をお送りする葬送の儀としての散骨という基本姿勢を崩しておりません。
今の時代人口の減少、少子高齢化、核家族化、超高齢化、多死社会などの諸現象が確実に進行する中で後継者の居ない高齢者の住む家はやがて空家になり、お墓も墓じまい、そして散骨の増加はある意味社会現象になっているのです。
また葬儀の簡略化が進み、今では葬儀無しで病院から火葬場に直行する直葬が人気であるなど、亡き人をお送りすることもとても内容の無い淡白なものになりつつあります。
亡き人をお送りするのは今生きている人達の務めであり、やがては自分達も送られる身になるのですから、亡き人に対しては手厚く心を込めて供養して送って差し上げることが大切であり、散骨にしても捨てるような散骨をすればやがて自分も捨てられるのですから、そのようなことにならないように、感謝の心で持って供養の気持ちで送り出して差し上げましょう。