古いお守りはどうする?

古いお守り

御守には下げるタイプ、身に付けるタイプ、吸盤で貼り付けるタイプなどの様々な御守がありますが、どのタイプの御守にも必ずご神体と言われる神仏の魂が入っています。

古い御札やお守りのお焚き上げ、処分方法

神社や寺院で頂いて来る御守には

  • 身体健全
  • 病気平癒
  • 学業成就
  • 安産
  • 旅行安全
  • 交通安全
  • 厄災消滅

など様々な目的に応じたお守りがあり、どれも1年間使いましたら頂いた神社や寺院にお礼を添えてお返しして、次の新しい御守を頂いて帰るというのが礼儀作法で御座います。

引っ越しした、何処で頂いたのか分からなくなってしまったなどの御守りがありましたら、何処の御守でも受付してくれるお焚き上げに出しましょう。

お正月飾りが捨てられない方へ

お正月飾りのお焚き上げ

一昔前までお正月飾りは地域のどんど焼きで焚き上げてもらうことが定着していましたが、どんど焼きの行事に宗教的な由来がある事から地域の行事から排除されていく運命にあります。

お正月に各家々に訪れる歳神様を迎えるために準備した正月飾り、門松、しめ縄などを焚き上げるどんど焼きが無くなってくれば、松の内を過ぎたお正月飾りをどのようにしたら良いのか困ってしまいます。

自治体では一般ごみとして捨てることを奨励していますが、神様をお迎えするために使った物をゴミとして捨てることにていこうがある人は少なくないと思います。

歳神様を迎えるという目的が果たせたのだから捨てても構わないと言われても、特に年齢を重ねた人で信仰心のある人は中々それが出来ないと思います。

高野山真言宗やすらか庵では1月15日午前11時よりどんど焼きを開催し、無料でお正月飾りを焚き上げますが、遠方で来ることが出来ない方のために80サイズダンボール箱1箱までのサイズの正月飾りを千円の焚き上げ料で受け付けています。

詳しくは…一月限定正月飾りお焚き上げ千円

お正月飾りだけの特別企画で、1月15日のどんど焼きに間に合えば焚き上げますし、1月中は受け付けていますので、遅くなっても供養の上で焚き上げ致します。

1月15日午前11時よりどんど焼き

どんど焼き

1月15日(金)午前11時~午後2時

高野山真言宗やすらか庵にてどんど焼きが行われます。

どんど焼きのご案内

どんど焼きとは1月の小正月の頃に歳神様をお迎えするために準備した正月飾り、しめ縄、門松などをダルマや書初めなどと共に焚き上げして、その火で団子や餅を焼いて食べたり、灰を持ち帰ったりして一年の無事を願う大切な行事です。

どんど焼きは町内会などの自治体で行われる地域の行事ですが、近年では人口の減少や少子化、地方の過疎化などで継承が困難になりつつあります。

また煙が出ることなどで環境問題への懸念から中止する動きも加速しています。

地域ぐるみで参加して皆の無事を願うような行事が無くなりつつあることは残念な事です。

高野山真言宗やすらか庵では文化と伝統を守る取り組みの一環としてどんど焼きを開催します。

場所は千葉市若葉区野呂町1434-16

問い合わせは電話043-228-1480

 

個別屋外お焚き上げ供養

個別お焚き上げ

個別屋外お焚き上げとは、他の方とは一緒ではなくてご依頼主のためだけに護摩を焚いて供養する完全に個別の貸し切りでのお焚き上げのことです。

他の方とは一緒にすることはありませんので、どういう時に利用されるかと言いますと、

  • 亡き人に遺品を届けたい
  • 嫌な思い出を忘れたい
  • どうしても思い入れの深い品である
  • 人に見られたくない
  • 天に届けるために出来るだけのことをしたい

のような方が利用されます。

遠方からでも来られる方がおられますが、このような形式でお焚き上げをしている所は他にありません。

供養したい物が実際に護摩の火と共に天に昇っていくのを見届けることが出来ます。

完全予約制になっていますので、高野山真言宗やすらか庵にご連絡下さいませ。

電話043-228-1480

お焚き上げ開運法サイト

お焚き上げ開運法

お焚き上げは寺社で頂いた御札やお守りを護摩の火で焚き上げることですが、年末年始に行われていて、新しい御札を交換するために焚き上げるようなイメージがあるかと思います。

お焚き上げは神仏の魂を天にお還しする作法ですが、焚き上げる品物によってはたとえば因縁の籠った絵画などは持っているだけで健康を害したり、悪いことが続いたりするものですが、そういった物に関しては捨てたり人に上げたりしても悪い因縁が解決しないことがあります。

そういう時にお焚き上げでお祓い、お清めまですれば必ず開運になるのです。

そういった開運専門のサイトがオープンしました。

お焚き上げ開運法

疫病神や貧乏神、死神などに憑かれたような場合にでもお焚き上げ供養で解決することもあります。

ペットの遺品のお焚き上げ

ペットの遺品のお焚き上げ

少子高齢化や核家族化が進行している現代では、家族を構成する人数が減って、高齢者夫婦の世帯であったり、或いは高齢者のお一人様世帯が増えていて、このような世帯では万一のことがあっても誰も気付く人がいない孤独死が社会問題になっているのです。

バブルの時代には若い人と多くの子供で賑わっていた大型団地でも今や高齢者だらけの寂しい街になってしまって、商店街は閉鎖され、学校も病院も無く、買い物するにも不便な暮らしになっています。

家族が減ってきますとやはりペットは家族の一員としての役割を果たすようになってきて、今では多くの団地でペットの飼育が可能になっていることから、ペットを飼う人が増えてきました。

しかしペットの寿命は人よりもはるかに短いために、何回も見送ることを経験することになりますが、愛するペットの死は悲しいもので、まだそこに居るような気がして、いつまでも片づけをすることが出来ない方がたくさんおられるのです。

それでもある程度の期間が過ぎましたら、忘れることも供養だと心に言い聞かせてお片付けをすることが大切で、どうしてもこれだけは天に居る愛するペットに届けて欲しいというものがあれば、お焚き上げ供養を利用すれば、天に届けてもらえます。

そういう時にお役立ちの記事は…ペットの遺品はお焚き上げ出来ますか

ペットの遺骨はお焚き上げ出来ませんが、遺品ならどんな物でもお焚き上げしてくれます。

スマホに写った心霊写真

スマホに写った心霊写真

最近では皆さんスマホで所かまわず写真を撮りまくるので、スマホの中には過去に撮影した写真が山ほど眠っている訳ですが、何か気になることがあってふと見た写真に、写ってはいけない物が写っていたということが意外と多いのです。

心霊写真のほとんどが撮影時の光加減でたまたま光が写り込んだりするものですが、明らかな心霊写真というものは、そこに居ないはずの人が写っていたような写真のことです。

あまり気にしなくても大丈夫なのですが、場合によってはその人の運命に関わるようなこともありますので、とせうしても気になるような方は、相談するか見てもらった方が良いと思います。

高野山真言宗やすらか庵では無料相談もしていますし、お祓いやお焚き上げ供養もしてくれますので安心です。

依り代とは何ですか

依り代

依り代とは大木や巨岩、山などの自然の物に神が降りて来る目印であり、神が宿る場所にもなります。

昔から我が国には「山川草木悉皆成仏」と言って、自然にある全ての物に神が宿り、仏になるというアニミズムという自然崇拝の信仰が根付いており、神々を崇拝して敬う事により、自然の恵みを頂く事が出来て、自分達が生きていくことが出来たのでした。

神々が天から降りて来る場所…依り代について

神々が降りて来る場所は自然の中でも特に大きな岩や樹齢を重ねた大木、高い山などが選ばれて、おそらく天の上から見てもよく目立つ存在であったということでしょう。

神仏に感謝、ご先祖様に感謝、大自然に感謝、そしてご縁に感謝、高野山真言宗やすらか庵では私達の眼には見えないご縁というものに感謝して、今私達が何を為すべきかを真剣に探究しています。

お焚き上げの持込み

お焚き上げの持ち込み

お焚き上げというものは、物に対して思いや願いが籠っているのですから、出来る事なら持ち込みたいと思われる方がおられます。

高野山真言宗やすらか庵のお焚き上げは全国から受け付けていますので、ほとんどの方が宅配や郵送を利用されるのですが、たとえ遠方の方であってもどうしても天に届けて欲しいとか、思い出の強い品だから最後まで自分が持って行きたいと希望されるような方には無料でお清めお祓い、そして読経供養してくれますので、来た甲斐があったというものです。

但し突然来ても住職が出かけて居ないことがありますので、予め連絡してからお参り下さい。

詳しい記事は…お焚き上げ品の持ち込みは

頼むだけ頼んで礼を言わぬ人

礼を言わぬ人

私達は誰でもそうなのですが、苦しい時の神頼みで、神様にお願いする時には必死の思いでお願いし、何回も通ってただひたすらにお祈りするもので、神様はそういう熱心な人の願いは叶えてくださるものです。

しかしいざ願い事が叶ってしまいますと、神様のことはすっかり忘れてしまい、成功はあたかも自分の努力の賜物であると思い込んでしまいますが、こういうことではもう神様は願いを叶えてくれなくなります。

お寺や供養などの相談は私が運営している…高野山真言宗やすらか庵

礼を言わないということが最大に失礼なことであり、感謝するという気持ちが大切なのです。

神仏に頼み事ばかりする人は嫌われます。

詳しい記事は…頼むだけ頼んで礼を言わぬ人は神仏から嫌われる